MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
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1. 猪熊弦一郎《長江埠の子供達》1941年
2. 猪熊弦一郎《壮絶なる風景(コレヒドール)》1942年
3. 猪熊弦一郎《○○方面鉄道建設》1944年 東京国立近代美術館所蔵(無期限貸与作品)

すべて ©公益財団法人ミモカ美術振興財団

猪熊弦一郎展 戦時下の画業 Genichiro Inokuma - Works during World War Ⅱ

会期:2017年9月16日(土)-11月30日(木) *会期中無休
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)

主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団

◎観覧料:一般950円(760円) 大学生650円(520円) 高校生以下または18歳未満・丸亀市内に在住の65歳以上・各種障害者手帳をお持ちの方は無料
*同時開催常設展「猪熊弦一郎展 ニューヨークへ 1955-」観覧料含む
*( )内は前売及び20名以上の団体料金
*11月23日(木/祝)は開館記念日のため観覧無料

◎前売券販売場所
[丸亀]あーとらんどギャラリー(0877-24-0927) オークラホテル丸亀(23-2222) おみやげSHOPミュー(22-2400) きままや(22-9361)

◎概要
 猪熊弦一郎(1902−93)は、40歳前後に戦争の時期を過ごしました。1939年、パリ遊学のさなかに第二次世界大戦が勃発、戦況の悪化に伴い帰国を余儀無くされます。日本においても戦時色は日ごとに増し、41年には文化視察の名目で中国へ、12月に太平洋戦争が開戦してのちは、作戦記録画を描く従軍画家として、42年フィリピン、43年ビルマ(現ミャンマー)と、三度戦地へ派遣されました。
 猪熊が軍の委嘱で描いた作戦記録画として、当時の資料から画像が確認できるものが三点あり、そのうち二点は行方が分からず、もう一点、ビルマの泰緬鉄道建設現場を描いた《○○方面鉄道建設》(1944年、東京国立近代美術館所蔵 無期限貸与作品)のみ現存しています。他に戦争を直接あらわした絵はほとんど残っておらず、一方、従軍先で市井の人々や風景を描いた油彩画、疎開先で描いたデッサンなどは、猪熊の手元に保管されていました。その多くは日常を描いた当たり障りのない写実的なもので、表現が規制された当時の状況や、それでも何か描かずにはいられなかった画家の有り様がうかがえます。
 戦後、猪熊は戦争画について、自分の思いを語ることはほぼありませんでした。戦後70年を過ぎて戦時下の芸術が再考されるなか、本展では、同時期の猪熊の足跡をたどり、一人の画家が戦争とどう向き合い、その画業に戦争がどう影響したのかを検証します。作戦記録画を含む当時の作品に加え、写真、日記、書籍、書簡等の資料、親交が深かった藤田嗣治、佐藤敬、小磯良平等、他作家の記録画もあわせて紹介します。

1. 猪熊弦一郎《長江埠の子供達》1941年
2. 猪熊弦一郎《壮絶なる風景(コレヒドール)》1942年
3. 猪熊弦一郎《○○方面鉄道建設》1944年 東京国立近代美術館所蔵(無期限貸与作品)

すべて ©公益財団法人ミモカ美術振興財団

撮影:高橋章

◎作家プロフィール

猪熊弦一郎 / Genichiro Inokuma(1902-93)

1902 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業。
1922 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学。藤島武二教室で学ぶ。
1926 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選。以後、第10回、第14回で特選となるなど、1934年まで主に帝展を舞台に活躍する。
1936 志を同じくする伊勢正義、内田巖、小磯良平、佐藤敬、三田康、中西利雄、脇田和、鈴木誠と新制作派協会(現 新制作協会)を結成。以後、発表の舞台とする。
1938 フランス、パリに遊学(1940年まで)。アンリ・マティスに学ぶ。
1939 パリで藤田嗣治と親交を結ぶ。第二次世界大戦が勃発、藤田から誘われ共に仏南西部のレゼジー村に1ヶ月間疎開する。
1940 パリの戦火を逃れ、最後の引き揚げ船となった白山丸に乗船し帰国する。
1941 中国文化視察として佐藤敬と南京方面に派遣される。
1942 陸軍省派遣画家としてフィリピン戦線に派遣される。コレヒドールを取材。大東亜戦争美術展覧会に《硝煙の道(コレヒドール)》を出品。
1943 新戦場従軍画家として小磯良平とビルマに派遣される。ビルマ独立式典に参列後、泰緬鉄道建設現場を取材。
1944 陸軍美術展に《○○方面鉄道建設》を出品。腎臓を患い入院、手術を受ける。神奈川県津久井郡吉野町(現相模原市緑区)に疎開。
1945 終戦。田園調布純粋美術研究室が発足する。芸術家サークル「トワエモア」を結成。楽団「ZZBB」を結成し、ダンスパーティの演奏活動も行う。
1946 疎開先より東京、田園調布のアトリエに戻る。
1947 小説新潮の表紙絵原画を描く(1987年まで)。
1950 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。
前年制作した慶應義塾大学壁画《デモクラシー》及び名古屋丸栄ホテル壁画《愛の誕生》に対し第二回毎日美術賞を贈られる。
1951 国鉄上野駅中央ホールの大壁画《自由》を制作。
1955 再度パリでの勉学を目指し、アメリカ廻りでの世界旅行を計画、日本を発つ。途中立ち寄ったニューヨークに惹かれそのまま留まることとし、約20年間同地で制作する。渡米をきっかけに抽象画を描くようになる。
1956 ニューヨークのウィラードギャラリーで新作個展を開催。以後、同ギャラリーの所属作家となり、1972年まで全10回の個展を開催する。
1969 日本橋高島屋等にて大規模個展、ニューヨークでの成果を日本で発表する。
1973 日本に一時帰国中、病に倒れる。
1975 ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、その他の季節は東京で制作するようになる。
1989 丸亀市へ作品1000点を寄贈。
1991 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館する。
1992 所有するすべての作品などを丸亀市に寄贈する趣旨の文書提出。
以降、順次丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に搬入。
1993 東京にて死去。90歳。

企画展情報

関連プログラム

「猪熊弦一郎展 戦時下の画業」
スペシャルギャラリートーク
講師:満田康弘

2017年11月19日(日) 14:00-
猪熊の作戦記録画にちなみ、泰緬鉄道についてお話しいただきます。

「猪熊弦一郎展 戦時下の画業」講演会
講師:椹木野衣

2017年11月12日(日) 15:00-
第二次世界大戦下の日本の美術についてお話いただきます。

キュレーターズ・トーク
会期中の毎日曜日 14:00-
*他の関連イベント開催時は中止いたします。
本展担当キュレーターが展示室にて見どころをお話します。