猪熊弦一郎展 画業の礎 美校入学から渡仏まで Genichiro Inokuma: Foundations of a life in painting
会期:2025年1月26日(日)-3月30日(日)
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜日(ただし2月24日は開館)、2月25日(火)
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
◎観覧料
一般950円(760円) 大学生650円(520円) 高校生以下または18才未満・丸亀市内に在住の65才以上・各種障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
*( )内は前売り及び20名以上の団体料金
*同時開催企画展「「第 1 回 MIMOCA EYE/ミモカアイ」大賞受賞記念 西條茜展 ダブル・タッチ」および常設展「猪熊弦一郎展 立体の遊び」観覧料を含む
◎概要
猪熊弦一郎(1902-1993)は晩年、人の顔や動物、丸や四角、そして何とも呼びようのない抽象的な形など、多様な「形」を一枚のカンヴァスのなかに自在に描きました。異なる形が絶妙なバランスで配置された、明るく伸びやかなこの画風には、素直で前向きで、美をこよなく愛した猪熊の性質がそのままあらわれています。しかし、作品に本来の自分を出し切ることは簡単ではなく、猪熊がこの表現に辿り着くには長い年月が必要でした。
本展では、東京美術学校入学から、帝展出品時代、新制作派協会設立、渡仏まで、猪熊の画業の礎とも言える、20代、30代の頃の創作活動を紐解きます。大正後期から昭和初期にかけて、年々戦時色が増す困難な時代にあっても、常に前を向き、未知なる自分の世界をひらくべく真摯に「美とはなにか」を問い続けた、若い画家の探究と気付きの軌跡をご覧ください。
猪熊が開催を望んだ、若いアーティストが独自の才能をはばたかせる起点としての公募展「MIMOCA EYE / ミモカアイ」、その第1回大賞受賞記念である同時開催の西條茜展に呼応する内容です。
猪熊弦一郎(いのくまげんいちろう)
1902 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業、上京し本郷洋画研究所で学ぶ。
1922 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学、藤島武二教室で学ぶ。
1926 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。以後、1934年まで毎年出品し入特選を重ねる。
1927 東京美術学校を中退。
1935 新帝展に反対し不出品の盟を結んだ有志と第二部会を組織、第1回展に出品する。
1936 同世代の仲間と新制作派協会(現 新制作協会)を結成、以後発表の舞台とする。
1938 渡仏、パリにアトリエを構える(~1940)。滞仏中アンリ・マティスに学ぶ。
1950 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。
1951 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。
1955 渡米、ニューヨークにアトリエを構える。
1975 ニューヨークのアトリエを閉じ、東京に戻る。冬はハワイで制作するようになる。
1989 丸亀市へ作品1000点を寄贈。
1991 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館。
1993 逝去、90歳。