猪熊弦一郎展 じつにいろいろ描きました A Retrospective of Genichiro Inokuma
会期:2017年2月25日(土)-5月28日(日) *会期中無休
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
◎観覧料:一般 300円(240円) 大学生 200円(160円)
高校生以下または18歳未満・丸亀市内に在住の65歳以上・各種障害者手帳をお持ちの方は無料
*( )内は前売り及び20名以上の団体料金(企画展料金は別途)
猪熊弦一郎(1902-93)はおよそ70年に渡る長い画業を通じて、これまでにないような新しい絵を描きたいと挑戦を続けることで、作風がどんどん変化しました。一方で、どんな作風においても、猪熊は一貫して「美」を描こうとしていました。本展では猪熊の画業を回顧し、作風の変遷を追うとともに、彼ならではの「美」の表現をご紹介します。
東京美術学校(現 東京藝術大学)でアカデミックな美術教育を受けた猪熊は、在学中から官展に入選するなど、日本画壇に若くして頭角をあらわしました。1936年に新制作派協会を設立し、官展から離れますが、作品は基本的に具象画で、人や物をカンヴァス上に意図的に配置し、色や形を変えてモチーフの特徴を誇張したり画面に強弱をつけたりする作風でした。
1938年に渡仏し、アンリ・マティスから助言を受けた猪熊は、表現において「上手さ」よりも「独自性」が重要なのだと気付きます。そして、自分が描きたいものは「美」であり、絵画の美とは色と形のバランスであるという考えのもと、自分にしか表現し得ない「バランス」を探るようになります。そうすることで、新しい美の創造をめざしたのです。人や物、動物の姿を一つ一つ異なる形ととらえ、ときには背景も分割して色を塗り分け、それらの組み合わせで「バランスの美」を描こうとしました。しかし、次第に、具象物を取り除いてもっと純粋に描きたい、と考えるようになりました。
1955年、猪熊はニューヨークに拠点を移し、環境の変化を機に、抽象画を描きはじめます。具象物の姿が消え去り、代わりに筆の動きや凹凸によって画面が複雑に作り込まれるようになりました。当初、混沌としていた画面は、10年ほど経ったころから、水平と垂直を意識した、整理された画面へと変わります。「都市」をモチーフに、姿かたちとして描くのではなく、色数を抑え直線を多用した都会的な「バランスの美」として概念的にあらわすことで、自分なりの新しい抽象表現を作り上げたのです。
1975年からは東京とハワイを行き来するようになり、明るい陽光と自然豊かな環境の中で、色が多彩に、形が有機的に変化しました。そして、1988年に妻を亡くして描き出した顔の連作がきっかけとなって、晩年の画面には、ふたたび具象物があらわれるようになります。そこにはもう抽象形態と具象物の区別はありません。筆先からあらわれる多様な色と形を、自由自在にカンヴァスに置いて、自らの「バランスの美」を次々に生み出しているように見えます。
- 《自画像》1921年、油彩・カンヴァス、60.5×50.2
- 《ピアノの前》1934年、油彩・カンヴァス、180.0×290.0
- 《題名不明》1939年頃、油彩・カンヴァス、38.0×54.6
- 《フランス田舎》1938年、油彩・カンヴァス、80.2×65.0
- 《妻と赤い服》1950年、油彩・カンヴァス、116.5×91.0
- 《からす》1953年、油彩・カンヴァス、130.0×194.0
- 《星座》1958年、油彩・カンヴァス、200.5×180.0
- 《都市配分》1966年、油彩・カンヴァス、194.0×112.4
- 《風景》1971年、アクリル・カンヴァス、178.0×202.5
- 《角と丸CW》1977年、アクリル・カンヴァス、190.3×175.3
- 《宇宙は機械の運動場No.1》1981年、アクリル・カンヴァス、200.0×140.0
- 《違った星座の仲間》1986年、アクリル・カンヴァス、182.0×152.0
- 《顔達の祭典》1992年、アクリル・カンヴァス、194.0×194.0
- 《顔バック緑》1992年、アクリル・カンヴァス、41.1×31.8
- 《顔青》1992年、アクリル・カンヴァス、41.0×31.8
- 《題名不明》1992年、アクリル・カンヴァス、53.0×45.5
- 《題名不明》1992年、アクリル・カンヴァス、45.6×38.0