丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(以下MIMOCA)では、2023年10月8日(日)から12月10日(日)まで、企画展「須藤玲子:NUNOの布づくり」を開催しています。本展は、2019年に香港のCHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)で企画・開催され、ヨーロッパを巡回後、MIMOCAで5カ所目の展示となりました。巡回展ですが、丸亀だけで見られる須藤さんの新作も2点出品しています。本稿ではそのうちの1点《ビッグパステルドローイング》をご紹介します。
須藤玲子《ビッグパステルドローイング》2023年 撮影:高橋マナミ
◎新作1:ゲートプラザの《ビッグパステルドローイング》
MIMOCAの建物は、正面から見ると、大きな四角い箱が前に開いたような形をしています。JR丸亀駅から徒歩1分ほどの場所にあるため、電車で丸亀を訪れた人は、駅を出たとたんにこの大きな箱を目にすることになります。箱の奥には、猪熊弦一郎による幅約21.5m、高さ11.5mの巨大な壁画《創造の広場》(1991年)があり、開館当初からMIMOCAの顔として親しまれてきました。この箱のような大きな空間全体をMIMOCAでは「ゲートプラザ」と呼んでいます。
2022年の春、本展の下見のためにMIMOCAを訪れた須藤玲子さんは、ゲートプラザの特徴的な空間にインスピレーションを得て、何か大きなテキスタイルを展示したいと考えました。駅と美術館をゆるやかにつなぐような、駅から出てきた人を美術館に迎え入れるような、そんなイメージを抱いたそうです。
加えてゲートプラザには、上述の猪熊の壁画があります。白い背景に、馬や木やヘリコプターなどのモチーフが黒い線で描かれたユニークなドローイングです。
猪熊弦一郎《創造の広場》1991年
この猪熊の絵に呼応するように、須藤さんはパステルを持った手をグルグルと螺旋状に動かして、自分の体から自然に出て来た線を紙に描き留めました。そして、何枚も何枚も描いた中から、原画を一つ選びました。原画をグリッド(方眼)のデジタル画像に変換し、解像度を上げながら実物大に拡大すると、膨大なピクセル数となります。ピクセルは四角ですから、どうしても曲線部分がギザギザになってしまいます。須藤さんはピクセル一つ一つを丹念にチェックし、線か背景かをエンジニアと共に判断して、この大きな絵を完成させたそうです。曲線ばかりの絵ですから、大変な作業量だったことでしょう。
データ化されたドローイングは、透け感のある白いオーガンジーに、手捺染のフロック加工(短い繊維を直立した状態で貼り付けること)によって、プリントされることになりました。手捺染のための型は、1パターンが2mのものを必要とします。しかし、通常は一人で行う作業のため、型は最大でも、人が腕を伸ばして届くサイズまでしか作れない、2mは無理だと最初は断られたそうです。最終的に、二人一組で呼吸を合わせて作業することで、2mの型によるプリントが可能になりました。この作品から新たな技術が生まれたのです。
《ビッグパステルドローイング》裏面 撮影:高橋マナミ
幅1.2m余りの布を15枚縫い合わせた(この縫い目がまた美しいのです)、幅18.9m、高さ9.6mの大きなテキスタイルは、小さく折り畳まれて、段ボール一箱で美術館に届きました。箱から出すと、光沢のある白い布がふわっと広がって、ウェディングドレスのようでした。ゲートプラザに吊り下げられたときには、自然と拍手が沸き起こりました。
さて、この須藤さんの《ビッグパステルドローイング》と猪熊の壁画には、いくつか通底する点が見られます。
一つ目は、モチーフです。《創造の広場》には生き物や人工物など具体的なものが描かれていますが、実は当初、猪熊は○と×を並べた抽象画を考えていました。小さな子どもでも描ける○や×の絵を美術館の正面に据えることで、地域の人々に「自分にも描ける」「美術は難しくない」と思って欲しい。一方で、この大きな空間において、○と×だけでその絵を一つの「作品」として成り立たせることが出来るのがアーティストであり、そういう「作品」を見せるのがこの美術館である、その両方を伝えたいと思ったのです。最終的には生き物を描いた現在の壁画になりましたが、「⼦供時代に過ごした丸⻲への思いと、だれもが絵を描きたくなるようにとの願いを込めて、落書きしたように表現した。」(「丸⻲市猪熊美術館 画伯ら⼤壁画除幕」四国新聞 1991年3⽉26⽇)という猪熊の言葉には、○と×の当初案から貫かれた強い意志が読み取れます。
猪熊弦一郎《丸亀市猪熊弦一郎現代美術館壁画案》 1990年頃
須藤さんは、猪熊の○×案については全くご存知なく、落書きのような猪熊のドローイングに触発されて、大きな螺旋状の線をグルグルと描いたのです。まさに、猪熊の○×と同じ、子どもから大人まで、誰もがつい描いてしまうような絵となっています。一方で、世界を牽引するテキスタイルデザイナーとして、空間に溶け込むような独自の「作品」を完成させたのです。
撮影:高橋マナミ
二つ目は、制作行程です。実は猪熊の壁画の線は、象嵌で作られています。背景となる白い大理石の上に、砕いた黒い御影石を埋め込んで、ドローイングが再現されました。須藤さんの線が小さなピクセルの集まりであるのと同様、猪熊の線も小さな石の集まりなのです。
壁画が作られたのは1991年、まだPC上の作業ではなく、小さな原画は拡大コピーを繰り返して実物大まで引き伸ばされました。引き伸ばすにつれて、細部がだんだんぼやけてきます。試作を見た猪熊が、顔をしかめて「(線が)アール(曲線)になっている」と何度も言う様子が記録映像に残っています。自分の線、自分の作品ではなくなっていると感じたのでしょう。そのため、実物大の拡大コピーを体育館のような広い場所に広げ、その上から太い筆で絵を描き直しました。そうして、画家の力強い筆致をそのまま壁画に表すことができたのです。時にはわざと筆をふって絵の具を飛ばし、その飛沫も忠実に象嵌で再現されました。
須藤さんの作品では、小さなピクセルによって曲線がギザギザになる、それを一つ一つ確認して自然な曲線にする、というように、一見すると猪熊とは逆の作業が施されていますが、単に拡大するだけではなく、実際のサイズにした上で細部を丁寧に確認し、さらに手を加えて仕上げる、という妥協を許さない真摯な制作態度こそ、両者に共通するものと言えるでしょう。
《ビッグパステルドローイング》はゲートプラザを通り抜ける自然の風をはらみ、ゆったりと動きます。ダイナミックに大きくなびく時もあれば、ビクともしない日もありますが、同じ動きは二つとなく、見ていて飽きることがありません。須藤さんはこの動きを「風が可視化された形」であり「すべて自然が作り出した形」だと言い表しています。
撮影:高橋マナミ
《ビッグパステルドローイング》 2023年
デザイン:須藤玲子
制作:株式会社布
布地制作:なかにし染工、サンコロナ小田株式会社
文/古野 華奈子
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◎関連リンク
企画展「須藤玲子:NUNOの布づくり」