丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(以下、MIMOCA)では、2023年6月17日(土)から9月18日(月・祝)まで、企画展「中園孔二 ソウルメイト」を開催しています。2023年8月20日(日)に開催された、「中園孔二 ソウルメイト」関連プログラム 評伝刊行記念トーク『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』では、本展担当キュレーターの竹崎瑞季が、著者の村岡俊也さんにお話を聞きました。その一部を抜粋・編集してご紹介します。


文/須鼻美緒 

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村岡俊也氏

竹崎
まずは展覧会の概要をご紹介します。現在開催中の企画展「中園孔二 ソウルメイト」は、見る者に鮮烈な印象を与える絵画を多彩なバリエーションで表した中園孔二さんの個展です。中園さんは東京藝術大学(以下、藝大)卒業後、関東を拠点に制作活動を行ったのち、瀬戸内をのぞむ香川県の土地柄に魅かれ2014年末に移住しましたが、その翌年に25歳の若さで生涯の幕を閉じました。本展は中園さんが最後の時を過ごした香川県において、過去最大規模の個展になります。3階の展示室では、主に7つのセクションに分けて、絵画作品約220点、資料、蔵書、ドローイングなど含めると合計約300点という規模で展示しています。

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企画展「中園孔二 ソウルメイト」 撮影:髙橋健治

竹崎
タイトルの「ソウルメイト」という言葉は、中園さんがドローイングや日々の思いや考えを書き留めていたノートから取りました。他にも「となりで一緒になって見てくれる誰か」といったような言葉が繰り返し見られ、中園さんが常に親密な存在を希求していたことがうかがえたことから、展覧会のタイトルとしました。
それでは村岡さんから、今回刊行された書籍『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』についてご説明いただけますか?

村岡
ライターの村岡俊也です。よろしくお願いします。今回、中園さんの人生をたどるようにして、およそ40人強の方にお話をうかがって、彼がどういう人だったのか、どういう生き方をしてきたのかということを評伝としてまとめました。
中園さんの絵を最初に見たのは、2018年に開催された横須賀美術館の個展でした。きっかけは、私の義理の兄が藝大で彫刻科の先生をしているのですが、卒業作品展で中園さんの絵を見たときに「今年は天才がいるよ」と言っていた、という話を聞いたから。天才の絵と思って見に行ったんですが、正直、よくわからなかった。子どもみたいな絵だなと思って、うまく咀嚼できなかったんですね。でも、だからこそ知りたいという気持ちが芽生えて、追いかけはじめたのだと思います。

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村岡俊也著『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』新潮社、2023年

竹崎
非常に濃い内容の評伝になっていますが、実は私も村岡さんも、生前の中園さんにはお会いしたことがないんですよね。私は展覧会を企画するうえで、作品から中園さんを知っていったわけですが、村岡さんは作品の「わからなさ」っていうところから入っていって、中園さんがどういう人間で、どういう人たちと関係性を築いていたのかというところまで、かなり詳しく追っていますよね。

村岡
会ったことのない人について、どうすればその人を説明できるのか。できるだけ球体として中園孔二を説明したいけれど、どんなに人に会っても、映像を見ても、本人のことはわからない。それでもどうにか近づきたいと思って、できるだけたくさんの人に会って、多面体をつくっていった。その多面体の面が多く、細かくなるほど球体に近づくんじゃないか、というイメージでしたね。
竹崎さんは展覧会を構成するにあたって、どのように中園さんに近づいていったんですか?

竹崎
最初はやっぱりまず絵から入っていきました。絵を見て、この人が見ている世界は一体何だろう、不思議だなと思ったんですね。それで作家が何を考えていたのかを知りたいと思ったところ、まずインタビューの映像が残っていたのでそれを見ました。その中で、彼が「表面はばらばらであっても景色は一個」ということを言っていて。
中園さんは本当にいろいろな、違う絵を描いていたのですが、何か根底の軸みたいなものがあって、それが「景色は一個」っていう言葉ですごく納得できたんです。彼が見ていたのは、ひとつの景色なんだなと。そこが展覧会を考えるうえで、大きなヒントになりました。たくさんの違う絵を、集合体としてひとつの空間の中で見ることができたら、自分自身もそうだし、見る人にとっても、中園さんの「景色は一個」に近づくことができるのかなという試みでした。

村岡
「景色は一個」という意味で言えば、たぶん絵画によって立ち上がるひとつの景色とつながっている、中園さんが実際に見ていたひとつの景色っていうのがあると思っています。それは中園さんが夜の森に入ったり、海に泳ぎに行ったり、そういう自然の中で見ていた何かにつながっているんじゃないかと、私は思っています。

竹崎
そうですね。中園さんの身体性は絵画にもすごく表れています。絵を描く直前の高校2年生までバスケットボールに熱中していて、もともと身体性が高かったということもありますが、身体性は中園さんを理解するうえで非常に重要なキーワードです。

村岡
中園さんにとっては、絵がコミュニケーションのツールだったところがあると思うんですが、他の画家にとっても、絵はそういうものですか?

竹崎
今回の展覧会に来てくださった方の中にも、この絵がこういう意味を持っているとか、どういうスタイルで、歴史の中でどうであるかっていうところは置いておいて、直感的に「わかる」と思ってくださる方が、結構いらっしゃるんじゃないかなと思いました。
中園さんの作品に向き合ってみると、中園さんと同じ時間を共有していない人でも、絵を通して中園さんのことがわかるっていう感覚が生まれてくるんじゃないかなという気がしています。

村岡
展覧会でも展示されていましたが、中園さんの「絵は、作者と作者と同じような人達とで作った、隣にある外です」という言葉がありますが、中園さんの場合、おそらく絵がひとりで完結することはなかった。ソウルメイト、「となりで一緒になって見てくれる誰か」っていう具体的な人も必要だったし、たぶんその絵を見てもらって初めて完成するもの。世界にひらくためのツールだった気がしています。

竹崎
中園さん自身、絵について「外縁」や「穴」ということをおっしゃっています。絵の中で完結した世界というよりも、もう少し大きく、しかもそれが共有できる、ひとつの景色だったのかもしれません。

村岡
そうですよね。何かにつながっている感覚がありますよね。

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企画展「中園孔二 ソウルメイト」 撮影:髙橋健治

竹崎
絵と中園さんの関係については、評伝でも書かれていますが、中園さんの作品の中にはわりと暴力的な描写もあったりしますよね。

村岡
中園さんは高校2年生の夏に描き始めて、おそらく藝大卒業手前ぐらいまでは、ただただ描くことが楽しかったのだろうと思います。でも、その後には息詰まるような状況が少しずつあって、そこから這い上がろうとしたときに、自分が描いているものが誰かのためにもなるんじゃないかと、思い至るようになった。暴力的な描写がだんだんと薄れていって、あるいは深化していって、単純に暴力ではなくて、暴力も平穏も変わらないような地平の絵が出てくる。

竹崎
評伝の中に、大学時代の卒業直前ぐらいに、同級生の女性が気を抜くと「死にたくなっちゃうことがある」と言ったときに、中園さんが「そういう人のために描いてる」と言ったというお話がありました。

村岡
その話を聞かせていただいたときに、なぜ中園さんの絵にこれほど惹かれてしまうのか、よくわかった気がしました。

竹崎
彼の内的な世界にはさまざまな感情があって、それこそ暴力的な描写が出てくるような怒りや、悲しさ、優しさ、あるいは評伝に書かれているような「慈しみ」など......。いろいろな複雑な感情が中園さんの内的世界を形成していて、それが絵画として出てきている。その根底には優しさや、他者に対する眼差しがある。

村岡
最初に作品を見たときにはどう受け取ればいいのかわからなかったんです。けれど、改めて今回の展覧会で絵を見たときに、中園さんに会えたと思ったんですね。中園孔二という人物と作品そのものを、私はすごく近く感じてしまうんです。だから評伝を書いた。けれど、「絵があればいいじゃん。絵だけでいい」っていう考え方もあるじゃないですか? それもまた、正しいスタンスだと思うんですね。その辺りはどう考えていますか?

竹崎
作家と作品がどこまでイコールかというと......作品は作品であって、それをどう見るかっていうのは、作者の意図を超えて広がっていくものでもあります。受け取る世界観に制限はないし、本当に自由だと思うんです。中園さんも、別にどういうふうに見てほしいって思って描いたわけでもないと思うし。一方で、中園さんの場合、彼の精神性と作品は強く絡み合っているように思います。

村岡
それは、やっぱり若くして亡くなってしまったことも関係があるんでしょうか? 多くの画家は若い時代は作品との距離が近いと想像するんですけど、成熟していくにつれ作品と距離ができてきて、客観的に見るようになっていく。
まぁ、画家に限らず誰もがそうだと思うんですよね。若い頃って、近視眼的に自分のまわりしか見えてないけど、歳をとってより社会的な存在になってくると、自分がどういう役割を担っているのか、客観的に見えてくる。そういうことも関係あるんですかね?

竹崎
中園さんは25歳で亡くなりましたが、そういう時期的な反映っていうのもあるかとは思います。やっぱりいろいろ葛藤しながら向き合っていく時期だったのではないかなと。

村岡
話を聞いた大学の同級生が「まだはじまってもないんだよ、あいつは」と言っていたんです。「これからだったのに、神格化して騒ぐなんて最悪だ」と。今、その状況に私も加担しているわけですけれど。きっとこれから客観的に自身を見つめて、自尊心にうまく折り合いをつけて、それでも慈しみみたいな気持ちだけを残して描いていたら、きっとさらにすごいものが描けたんだろうなと想像してしまいます。

竹崎
もちろん中園さんがこれからどういう作品を描いていったかっていうのは気になりますし、見たかったんですけど、その一方で、作品という形で残っているというのは希望だと思ってます。作品が残っていて、それがいろんな人にひらかれて、見られて、その人たちの中で、いろんなものが生まれたり残っていったりするっていうことでいうと、まだその「これから」があると思いますね。

村岡
そうですね。本当にそう思います。作品が残ることの意味って大きい。

竹崎
中園さんはいなくっても、私のように作品を通して出会って、そこから中園さんのことを知ることができる。中園さんと同じ時間を共有できた人ってすごく限られていて、幸運な方だったと思うんですけど、それ以外の方にとってもひらかれているとは思うので。

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展覧会カタログ『中園孔二 ソウルメイト』美術出版社、2023年

竹崎
展覧会カタログの帯に、中園さんが大好きだった小説家の舞城王太郎さんのエッセイから「私は自分の夢が、自分の内側だけから出てくるものだけとは思っていない人なのである!」※という言葉を引用していますが、中園さんの作品にはこの感覚があると思います。中園さんの中だけで閉じていないというか。中園さんの絵を見たそれぞれの人の中に、何かが残っていったり、生まれていったり、変わっていったりすることがあると思っています。

舞城王太郎「すべての面がこっちを向いている。」ANB Tokyo「中園孔二個展『すべての面がこっちを向いている』」特設noteページより

村岡
それってすごく根源的な、美術や何かを作ることに共通する話だと思うんです。中園さんの話をしていると、「ものをつくるってどういうこと?」とか、「絵を描く」とか、「他人に優しくする」っていう、根本的な物事を、立ち止まって考えざるを得なくなる。私は中園さんの絵を通じて、生きるとか、人に優しくしようとか、自分の人生を振り返って、良き人になりたいと思ってしまうんです。

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以上、トークイベントの一部を編集してご紹介しました。このあとも中園さんゆかりの場所の写真を見ながら多岐にわたるお話が続き、中園さんや作品への理解が深まる、濃密な時間となりました。
本企画展は2023年9月18日(月・祝)まで開催されていますので、ぜひ足をお運びのうえ、評伝『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』もあわせてご一読ください。

企画展「中園孔二 ソウルメイト」
会期:2023年6月17日(土)-9月18日(月・祝)
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
助成:芸術文化振興基金、公益財団法人朝日新聞文化財団
協力:小山登美夫ギャラリー

『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』村岡俊也著・新潮社発行
高校2年の夏、中園は突如「絵が描きたい」と訴え、自室の壁に描き始めた。東京藝大に現役で合格、在学時より「今年は天才がいるよ」と注目され、卒業の翌年には著名ギャラリーで個展を開催。将来を嘱望されながら2015年、25歳で急逝......両親、友人、恋人たちへの丹念な取材と書き残された150冊ものノートなどから読み解く本格評伝。

村岡俊也(むらおかとしや)
1978年生まれ。鎌倉市出身、ノンフィクション・ライター。
東京藝大卒業作品展で中園晃二の作品を見て「今年は天才がいるよ」と感想を漏らした藝大教授を通してその存在を知り、中園の通った美大受験予備校の講師とは旧知の仲だった。著書にアイヌの木彫り熊職人を取材した『熊を彫る人』のほか、『酵母パン宗像堂』(ともに写真家と共著、小学館)、『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』(文藝春秋)がある。

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企画展「中園孔二 ソウルメイト」関連プログラム 評伝刊行記念トーク『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って