今回のMIMOCAマガジンでは、猪熊弦一郎と版画家・棟方志功(1903-1975)の交流を示す収蔵作品を中心に、猪熊邸に集った棟方志功、勅使河原蒼風、勅使河原宏、ミシェル・タピエについてご紹介します。
二人の再会
当館では猪熊弦一郎の作品以外にも、猪熊旧蔵の他作家の作品や資料等を収蔵しています。
今回は猪熊と版画家・棟方志功(1903-1975)の交流を示す作品や資料をご紹介したいと思います。
いつから二人の間に交流があったのかは、現時点では不明ですが、互いの画業初期からいくつかの接点がありました。
最初の接点は、版画美術の振興を図ることを目的に岡田三郎助を会長として1931年1月に設立された日本版画協会です。
棟方は1932年に32名の新規会員の一人として迎えられ、猪熊も翌年の1933年に廣島晃甫、小磯良平、鷹山宇一とともに会員となりました。
2つめの接点は1936年の第11回オリンピック大会芸術競技への参加です。
二人とも版画作品で、猪熊は《射的》、棟方は《合同競争》《市民体操》の2点を出品し、「第11回国際オリムピック大会参加美術展覧会」(1936年3月28日〜4月3日 東京府美術館)、「第11回オリンピック伯林大会芸術競技展覧会」(1936年7月15日〜8月16日 ベルリン)、東京とドイツのベルリン、2カ所で展覧会が行われました。
二人ともベルリンには行っていませんが、東京府美術館の会場で顔を合わせることがあったのではないでしょうか。
続いてイサム・ノグチが残しているエピソードをご紹介しましょう。
1952年に猪熊と勅使河原蒼風が北鎌倉の魯山人邸の離れに住んでいたイサム・ノグチを訪ねた際に、亀倉雄策と棟方志功も魯山人を訪ねて来ており、みなで合流し、その中の誰かが、離れの畳(床)が抜け落ちるほど踊ったことがありました。
当人たちが大いに笑ったであろう光景が想像できます。
また、猪熊が渡米する前の1955年2月に棟方からもらったハガキには、いつも御恩を受けているのでお伺いしたいといった旨の文面が記されています。
このことからも、少なくとも1950年代初頭には親しく交流していたことが分かります。
以上のような経緯を経た1959年、ニューヨークにアトリエを構え精力的に活動していた猪熊は、ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招待で初渡米を果たした棟方と数年ぶりの再会を果たしました。
ニューヨークの棟方志功と猪熊弦一郎 撮影者不明
猪熊は渡米して4年あまり、作風は黒や白を基調とした抽象画へと変貌を遂げ、所属するウィラードギャラリーでは3回の個展を開催するほかアメリカ国内外の展覧会に出品していました。
ニューヨークでの棟方志功の個展
棟方は1月26日に横浜から貨客船・山君丸にて初のアメリカ旅行へと妻チヤ、息子の巴里爾と三人で旅立ちます。
サンフランシスコを経て2月にニューヨークに到着し、夏のヨーロッパ旅行を挟んで10月まで滞在し、11月15日に帰国ました。
その間、多くの展覧会に参加し、ウィラードギャラリーでも個展「SHIKO MUNAKATA Woodblock prints」(1959年3月31日〜4月25日)を開催しています。
自身にとっては二度目となる同ギャラリーでの個展でした。
一度目は1952年に柳宗悦がバーナード・リーチ、濱田庄司と共に渡米し、ブラックマウンテン・カレッジ他10余箇所の大学で講演と陶技実演を行った旅行の際にウィラードギャラリーで棟方の作品を展示しました。
作家不在で行われた海外での初の個展でしたが、この時にギャラリーのオーナーは棟方の作品に注目しており、1959年の棟方渡米を知るや個展が企画されたのでした。
案内状のデザイン
猪熊旧蔵資料の中に棟方の個展の案内状があります。
外三つ折り(Z折り)の後に二つ折りになった状態で「棟方志功」とだけ大きく印字されています。
「SHIKO MUNAKATA Woodblock prints」 案内状 折りたたまれている状態
案内状を手にした人は最初に棟方志功の四文字を目にします。
こちらを広げていくと、展覧会の情報が見えてくる作りになっています。
「SHIKO MUNAKATA Woodblock prints」 案内状 おもて面 サイズ 35.3×35.3cm
中央部分に文字が集中的に配置されています。
一際目立つのが端から端まで大きく記載されたSHIKO MUNAKATA、次いで個展の開催場所であるwillard galleryの文字です。
これらはシンプルで落ち着いた印象を与えるHelvetica(1957年発表)のフォントが使われています。
ではその次に目に飛び込んでくる文字はいかがでしょうか。
個展のサブタイトルでもあるWoodblock prints、期間を示すMARCH 31- APRIL 25、住所を表す23 West 56 ・ New York City、これらは幾何学的な形で洗練された印象を与えるFutura(1923年発表)のフォントが使われています。
フォントや色味の使い分け、余白の使い方などかなり気を配られたデザインです。
「SHIKO MUNAKATA Woodblock prints」 案内状 裏面 サイズ 35.3×35.3cm
裏面には棟方の《追開心経頌》全16柵(1957年)のうちの1点《追開心経頌 自在の柵》が印刷されています。
観自在菩薩と文様、般若心経の経文が配置された華やかな構図です。
棟方は出来上がった案内状を見て
「實に見事なもので、眞から有難いものでした」(『藝術新潮』1959年5月号 p.111)
と感想を述べています。
では一体誰の手によるデザインなのでしょうか?
もうお分かりですね。
そうです、猪熊によるデザインです。
猪熊は作品の陳列でも金槌、釘、物差、水平器、鋸まで用意して尽力しました。
棟方のニューヨーク滞在中は日本の画家の中では猪熊夫妻だけと毎日行き来したり語り合ったりする間柄でした。
ウィラードギャラリーの個展の出品作は、
《萬朶譜》(木版・紙 1935年)、《二菩薩釈迦十大弟子》(木版・紙 1939年 1948年一部改刻)、《運命板画柵》(木版・紙 1951年)、《流離抄板画柵》(木版、彩色・紙 1953年)など50点が展示されました。
中でも《二菩薩釈迦十大弟子》は1955年のサンパウロ・ビエンナーレ(版画部門最高賞受賞)や1956年のヴェネツィア・ビエンナーレ(版画部門グランプリ受賞)に出品され、棟方の代表作として知られていたものです。
展覧会にかける意気込みがよく分かります。
棟方志功《玄関》
さて、当館の収蔵する棟方作品がこちらです。
ガラスカバーの反射があり若干見づらいですがご容赦ください。
棟方志功《玄関》1959年 紙本墨書 サイズ 78.0×145.5cm(額)
迷いのない筆致で力強く描かれた線には気迫が満ちています。
「玄関」は棟方が好んだ言葉で、倭画や書でたびたび書きました。
仏教用語で「玄妙な道に入る関門」の意味で使用していました。
深遠な仏道修行への入り口といった意味合いでしょうか。玄関とは、元々は玄妙な道に入る関門として寺院の書院の昇降口を指していたのが転じて、建物の正面に設けた出入り口のことを差すようになりました。
2点とも棟方志功《玄関》部分
余白には
「為 猪熊弦一郎 大夫妻 仁々契
於、紐府 客中 棟方志功 訳
昭和三四、四、二十七 佳宵」
と献呈署名と落款が入っており、1959年4月27日の夜に猪熊夫妻のために制作されたことが分かります。
また、作品の保存状態が良好なことから、猪熊が棟方からの贈り物をとても大切にしていたことが伺えます。
棟方の自伝的著書『板極道』(中公文庫 発行年:1976年)にニューヨーク滞在中は猪熊に大変親切にしていただいたと記されていることからも、二人の絆を示す作品だと考えられます。
1959年4月27日の夜
《玄関》の制作された4月27日はどのような日だったのでしょうか。
当館が所蔵する猪熊の妻、文子のスケジュール帳にこの日についての記載があります。1959年4月27日(月)のページに、「勅使河原家」(筆者註:勅使河原蒼風、勅使河原宏)、「タピエ」(筆者註:ミシェル・タピエ Michel Tapié)、「スタインベルグ」(筆者註:ソール・スタインバーグ Saul Steinberg)など大勢の来客者の名前に混じって「ムナカタ」の名が記載されています。
記載からは猪熊邸に総勢17名もの来客のあったことが分かります。前述の通り、4月27日はウィラードギャラリーでの棟方の個展が終わった2日後です。
ひと段落ついたタイミングでのリラックスした集まりだったであろうと考えられます。
ちなみに「玄」という文字には深遠な道理や真理の意味があり、猪熊の戸籍上の本名は「玄一郎」です。
もしかしたら棟方は楽しい宵の思い出として、猪熊の名前を掛けて「玄関」と書いたのかもしれません。
左奥から着席順に、勅使河原蒼風、勅使河原宏、猪熊文子、猪熊弦一郎、不明、ミシェル・タピエ、棟方志功、棟方チヤ
撮影者不明(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
蒼風、宏、猪熊
多くの訪問者のうち、勅使河原蒼風(1900-1979)、勅使河原宏(1924-2001)、ミシェル・タピエ(1909-1987)も棟方と同じく旅の途中でニューヨークに居合わせたのでした。
勅使河原蒼風 撮影:猪熊弦一郎(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
いけばな草月流の家元かつ前衛彫刻家として大きな注目を集めていた蒼風は1959年4月12日にタピエ企画の欧米4カ国(アメリカ、イタリア、フランス、スペイン)展覧会巡回のため、草月アートセンターのディレクターであり息子の宏を伴い渡米します。
4月15日にはニューヨークで蒼風の歓迎パーティが開かれ、猪熊、棟方、イサム・ノグチ、川端実、東野芳明らが集まりました。
4月27日は猪熊が準備を手伝ったマーサ・ジャクソンギャラリーでの蒼風の個展(1959年4月19日〜20日、21日は特別招待日)を終えた後でした。
勅使河原宏 撮影:猪熊弦一郎(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
勅使河原宏が帰国後の7月18日に猪熊へ宛てた手紙には
「〜ニューヨークでは大変お世話になりました。そして二十七日の夜の日本食の大御馳走は忘れることが出来ません あのとき拝見した近作とスライドの感激も強烈でした。ほんとにいろいろありがとうございました。奥様もあれからさぞお疲れになったことと思います。旅行者はご好意の頂きっぱなし、やりっぱなしで出掛けてしまうので、さぞ何かとご迷惑をお掛けしたことだと存じます。あれからパリ、トリノ、バルセロナと何處も快適な旅を続けることが出来ました。パリでは今井、堂本にすっかり世話になりました。バルセローナではガウディを最大限に撮影いたしました。この感激もまた忘れることは出来ません。〜」
と書かれており、4月27日の夜に猪熊の近作やニューヨークの街や旅先の風景を撮影したスライドフィルムを見せてもらったことに対する感激と感謝の気持ちが述べられています。
他にもニューヨークで撮影したボクサー ホゼー・トレスのフィルムの現像ができたことなどが綴られています。
前年にMoMAではアントニ・ガウディの展覧会「Gaudí」(1957年12月18日〜1958年2月23日)が建築・デザイン部門と建築史家のヘンリー・ラッセル・ヒッチコックの協力により開催され、再評価が進んでいました。
猪熊はそのカタログを持っており、宏にガウディのことを話したものと推察できます。
猪熊文子 撮影:猪熊弦一郎(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
タピエ、猪熊、二人をつなぐロートレック
ミシェル・タピエはアンフォルメル(1950年代にフランスを中心としたヨーロッパで興った非定形を志向した前衛芸術運動)の理論的推進者であり、来日前よりパリの今井俊満を通して蒼風のことは知っていました。
1957年9月5日にタピエが初来日を果たすと蒼風が羽田で出迎え、交流が始まりました。
タピエは蒼風を現代前衛彫刻家の最高の一人と位置付け、蒼風と具体をアンフォルメルの中心メンバーに加えて積極的に海外に紹介しました。
タピエ自身はフランスの貴族の家柄の生まれで本名をMichel Tapié de Celeyran、父方の祖母がAlix de Toulouse-Lautrec (1846 - 1918)、この祖母の兄の子供が画家のロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec 1864-1901)であり、従伯父(親のいとこ)にあたります。
タピエが生まれる前にロートレックは亡くなっていますが、パリ画壇を魅了した親戚の画家として眩しく見えたことでしょう。
ミシェル・タピエ、猪熊弦一郎 撮影者不明(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
猪熊にとってもロートレックは特別な画家です。
東京美術学校に入学した頃、同級生がセザンヌやルノアールを論じる中で、いきなりロートレックの絵に一目ぼれし、夢にも見るほどで初恋の相手とも言える存在でした。
「〜私はロートレックについては何もしらなかった。ただ、絵を見てその作品が私をとらえたのだ。あのいい知れぬ不可思議なさびしさ、気品のある色。達筆な動きのあるデッサン、しびれるような人間のにおい、私はセザンヌも、ルノアールも、見向こうともしなかった。〜」(『中部日本新聞』夕刊 1953年7月2日4面)
きっとタピエともロートレックについて熱く語り合ったことでしょう。
タピエの所蔵していた猪熊作品
タピエはコレクターとしての顔も持っており、イタリアはトリノで保管されていたコレクションの中にはジャクソン・ポロックやルーチョ・フォンタナ、具体や猪熊の作品もありました。
そのほとんどは後年タピエの手元を離れ、具体の作品の多くはコレクター山村徳太郎の手へ渡り、現在は山村コレクションとして兵庫県立美術館へ収蔵されています。
タピエが所蔵していた猪熊の作品で行方の判明している作品は2点あり、それぞれ当館の近隣の美術館に収蔵されています。
元々はタピエがニューヨークの猪熊のアトリエから購入したもので、1点は高松市美術館所蔵の《Weather forecast》(1958年 油彩・カンヴァス)、2点目は大原美術館所蔵の《Composition No.1》(1958年 油彩・カンヴァス)です。
猪熊弦一郎《Weather forecast》1958年 油彩・カンヴァス 縦:121.0cm 横:200.0cm 高松市美術館蔵
猪熊弦一郎《Composition No.1》1958年 油彩・カンヴァス 縦:205.0cm 横:181.0cm 大原美術館蔵
大原美術館は倉敷絹織(現 株式会社クラレ)の初代社長・大原孫三郎によって1930年に日本最初の西洋美術館として設立されました。
孫三郎は柳宗悦らの民藝運動の理解者でもあり、息子総一郎とともに棟方との親交があり、美術館には多くの作品が収蔵されています。
1959年のウィラードギャラリー個展に出品された《運命板画柵》(木版・紙 1951年)は総一郎から、自身が経営する倉敷レイヨン株式会社(現 株式会社クラレ)で開発した日本初の合成繊維ビニロンの生産を記念する作品を依頼されたことがきっかけとなって制作された作品です。
棟方と大いにゆかりのある大原美術館に猪熊のニューヨーク時代の作品がタピエの手を経て収蔵されているのも縁だと言えるでしょう。
棟方志功、ミシェル・タピエ 撮影:猪熊弦一郎(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
猪熊が大切にしていたもう1点の棟方作品
最後に、猪熊が所蔵していたもう1点の棟方作品について触れたいと思います。
1959年のウィラードギャラリーの個展に出品されたと思われる《二菩薩釈迦十大弟子》(1939年 1948年一部改刻 木版・紙)全12柵のうちの1点、軸装された《二菩薩釈迦十大弟子 優婆離の柵》(1959年 刷)です。
棟方志功《二菩薩釈迦十大弟子 優婆離の柵》1939年 1959年刷 木版・紙 個人蔵
この作品は田園調布の猪熊の家で大切なお客様をおもてなしする際にかけられていました。
いかがでしたでしょうか。
ニューヨークのイノクマとムナカタ、二人の交流をめぐって、1959年4月27日の夜に猪熊邸に集った棟方志功、勅使河原蒼風、勅使河原宏、ミシェル・タピエについてご紹介しました。
彼らがこの後1960年代以降もますます活躍の場を広げていくのはご存知の通りです。
MIMOCAマガジンでは今後も折に触れて収蔵品の様々な魅力を発信していきたいと思います。
どうぞお楽しみに。
右から棟方志功、猪熊文子、棟方チヤ 撮影:猪熊弦一郎(猪熊旧蔵の35mmスライドフィルムより)
文/吉澤 博之
*なお、ご紹介した作品や資料は現在館内での展示はしておりませんのでご注意ください。
画像について表記のないものは全て丸亀市猪熊弦一郎現代美術館所蔵。
画像の無断転載、使用は一切禁止です。
主要参考文献
【棟方志功について】
単行書
著者名 書名 発行元 発行年月日
大日本体育藝術協会 『第十一回オリンピック藝術競技参加報告』 大日本体育藝術協会 1936年11月20日
棟方志功 『板極道』 中公文庫 1976年1月10日
入矢義高 溝口雄三 末木文美士 伊藤文生(訳注) 『碧巌録(下)』 岩波書店 1996年2月16日
末木文美士 『「碧巌録」を読む』 岩波書店 2018年8月18日
カタログ
展覧会名 都道府県・開催場所、展覧会期間 発行元 発行年月日
『於巴里日本現代版画展準備展覧会 第三回日本版画協会展』(目録) 東京・日本美術協会、1933年9月3日〜10日 日本版画協会 1933年9月3日
『第11回国際オリムピック大会参加美術覧展会』(目録) 東京・東京府美術館、1936年3月28日〜4月3日 大日本体育藝術協会 1936年3月28日
『棟方志功展』 東京・日本橋 東急百貨店、1976年9月10日〜22日/愛知・名鉄百貨店、1976年10月1日〜6日/大阪・大丸、1976年10月7日〜12日/京都・大丸、1976年10月14日〜19日/神奈川・高島屋、1976年11月3日〜9日/北海道・東急百貨店、1976年11月18日〜23日 朝日新聞東京本社企画部 1976年
『棟方志功版画展』 神奈川・棟方版画美術館 財団法人 棟方版画館 1981年
『棟方志功展』 東京・東京国立近代美術館、1985年3月20日〜5月6日/愛知・愛知県文化会館美術館、1985年6月7日〜6月20日/兵庫・西宮市大谷記念美術館、1985年7月4日〜8月4日/ 朝日新聞社 1985年
『没後二十年記念 棟方志功展』 茨城・茨城県近代美術館、1995年2月 15日~3月26日 茨城県近代美術館 1995年
『「平常」の美・「日常」の神秘 柳宗悦展』 三重・三重県立美術館、1997年9月6日〜10月12日 三重県立美術館協力会 1997年9月
『棟方志功肉筆画展―その宗教的な美』 京都・京都精華大学情報館、1998年10月18日〜11月8日 京都精華大学情報館 1998年10月1日
『生誕百年記念 棟方志功展 北国の眠り、南国の目覚め』 岡山・大原美術館、2003年8月8日〜11月3日 財団法人 大原美術館 2003年8月8日
『生誕百年記念展 棟方志功 : わだばゴッホになる』 宮城・宮城県美術館、2003年4月5日〜6月15日/富山・高岡市美術館 福光美術館、2003年6月21日〜7月27日/青森・青森県立郷土館、2003年8月2日〜9月15日/奈良・奈良県立美術館、2003年9月27日〜11月16日/東京・Bunkamura ザ・ミュージアム、2003年11月22日〜2004年2月1日/愛媛・愛媛県美術館、2004年2月13日〜3月28日 NHK仙台放送局 NHK東北プランニング 2003年
『棟方志功 祈りと旅』 山口・山口県立萩美術館 浦上記念館、2010年6月12日〜8月15日/京都・大丸ミュージアムKYOTO、2010年9月15日〜9月27日/静岡・静岡市美術館、2011年2月11日〜3月27日/香川・香川県立ミュージアム、2011年4月9日〜5月15日/福岡・福岡県立美術館、2011年5月26日〜7月3日/愛知・愛知県美術館、2011年7月9日〜9月4日 朝日新聞社 2010年
『青森県立美術館開館10周年記念 オドロイテモ、おどろききれない 森羅万象:棟方志功とその時代』 青森・青森県立美術館、2016年4月16日〜 6月5日 棟方志功展実行委員会 2016年4月15日
『柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年』 東京・東京国立近代美術館、2021年10月26日〜2022年2月13日 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、毎日新聞社 2021年10月25日
定期刊行物
著者名 記事タイトル 媒体 刊行年月日、掲載ページ 刊行元
棟方志功、柳宗悦、徳川夢聲(座談会) 棟方志功の人と藝術 『藝術新潮』 1956年8月号 pp.163-179 新潮社
棟方志功 ニューヨークでの個展 『藝術新潮』 1959年5月号 pp.111-113 新潮社
猪熊弦一郎、大宅壮一、棟方志功(談話) アメリカの日本人 大宅壮一撮影 『週刊サンケイ』 1959年11月8日号 産業経済新聞社
棟方志功 ムナカタ画廊顛末記 −私のニューヨーク物語− 『藝術新潮』 1960年1月号 pp.144-149 新潮社
【勅使河原蒼風、勅使河原宏について】
単行書
著者名 書名 発行元 発行年月日
勅使河原蒼風 『蒼風の彫刻 1957〜1958』 勅使河原蒼風 1959年ごろ
勅使河原宏 『勅使河原宏・人と作品』 株式会社草月出版 1975年9月25日
勅使河原蒼風 『蒼風造形』 株式会社主婦の友社 1978年9月18日
勅使河原蒼風 『勅使河原蒼風 花伝書』 株式会社草月出版 1979年11月10日
草月出版編集部 『創造の森 草月1927-1980』 株式会社草月出版 1981年9月5日
勅使河原宏 『花造形―勅使河原宏 作品集』 株式会社婦人画報社 1982年12月10日
Sogetsu Shuppan Inc. 『HIROSHI TESHIGAHARA』 Sogetsu Shuppan Inc. 1985年
勅使河原宏 『勅使河原宏作品集 変幻』 株式会社草月出版 1987年4月25日
勅使河原宏 『勅使河原宏 作品1978-1987』 株式会社草月出版 1987年9月23日
勅使河原宏、篠山紀信 『竹 勅使河原宏・篠山紀信』 株式会社草月出版 1990年6月30日
カタログ
展覧会名 都道府県・開催場所、展覧会期間 発行元 発行年月日
『Gaudi』 New York・Museum of Modern Art 、1957年12月18日〜1958年2月23日 Museum of Modern Art 1957年
『勅使河原宏』 草月出版編集部 1980年12月7日
『勅使河原宏展−書と彫刻』 東京・西武美術館、1980年6月28日〜7月15日 西武美術館 1980年
『勅使河原蒼風の眼』 東京・銀座松坂屋、1981年8月27日〜9月8日/大阪・松坂屋、1981年9月17日〜21日/愛知・松坂屋、1981年9月24日〜29日/広島・福屋、1981年10月8日〜13日/福岡・大丸、1981年10月22日〜27日/北海道・丸井今井、1982年1月14日〜1月26日 朝日新聞社 1981年
『草月とその時代 1945-1970』 兵庫・芦屋市立美術博物館、1998年10月17日〜11月29日/千葉・千葉市美術館、1998年12月5日〜1999年1月10日 朝日新聞社
1998年12月5日
『戦後日本を駆け抜けた異色の前衛―勅使河原蒼風(全2巻)』 東京・世田谷美術館、2001年9月22日〜11月25日 世田谷美術館、財団法人草月会 2001年
『勅使河原宏展 かぎりなき越境の軌跡』 埼玉・埼玉県立近代美術館、2007年7月14日〜10月8日 埼玉県立近代美術館、財団法人草月会 2007年
定期刊行物
著者名 記事タイトル 媒体 刊行年月日、掲載ページ 刊行元
- "好評だった彫刻展" 勅使河原蒼風氏のみやげ話 『産経新聞』 1959年6月22日 産業経済新聞社
- 『いけばな草月』 25号 1959年7月20日 草月会出版部
小倉和子 私と草月流の六十年 『草月』 171号 1987年4月10日 pp.85-89 株式会社草月出版
- 蒼風交友録−③ イサム・ノグチ 『草月』 251号 2000年8月10日 pp.90-93 株式会社草月出版
【ミシェル・タピエについて】
単行書
著者名 書名 発行元 発行年月日
Michel Tapié, Tôre Haga(ミッシェル・タピエ、芳賀徹) 『Continuite et Avant-Garde Au Japon(日本に於ける連続性と前衛)』 International Center of Aesthetic Research, Edizioni D'arte Fratelli Pozzo(国際美学研究所、フラテルリ ポツォ出版社) 1961.1
Michel Tapié, Tôre Haga 『Avant - Garde Art in Japan』 Harry N Abrams 1962
カタログ
展覧会名 都道府県・開催場所、展覧会期間 発行元 発行年月日
『集めた!日本の前衛-山村德太郎の眼 山村コレクション展』 兵庫・兵庫県立美術館、2019年8月3日〜9月29日 兵庫県立美術館 2019年8月
定期刊行物
著者名 記事タイトル 媒体 刊行年月日、掲載ページ 刊行元
今泉篤男、富永惣一、土方定一、岡本謙次郎(座談会) アンフォルメル 本もの贋もの 『藝術新潮』 1957年11月号 pp.89-102 新潮社
M・タピエ、芳賀徹 訳 アンフォルメルの未来−十三の省察− 『藝術新潮』 1957年11月号 pp.103-105 新潮社
ミシェル・タピエ、芳賀徹 訳 第一回 日本旅行の精神的決済書 『美術手帖』 1957年12月号 pp.98-106 美術出版社
ミシェル・タピエ、芳賀徹 訳 猪熊の空間探求 『みづゑ』 673号 1961年5月号 pp.37 美術出版社
webサイト
タイトル インタヴュアー、書き起こし 実施団体 収録日 URL
『松本武 オーラル・ヒストリー 第1回 』インタヴュアー:平井章一、池上裕子 書き起こし:永田典子
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 2013年5月29日
『松本武 オーラル・ヒストリー 第2回 』インタヴュアー:平井章一、池上裕子 書き起こし:永田典子
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 2013年6月26日
【猪熊弦一郎について】
単行書
著者名 書名 発行元 発行年月日
猪熊弦一郎 『私の履歴書』 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 公益財団法人ミモカ美術振興財団 2017年4月1日
カタログ
書名 発行元 発行年月日
『高松市美術館収蔵品図録 1988』 高松市美術館 1988年
『大原美術館所蔵品目録』 大原美術館 1991年11月1日
『大原美術館Ⅱ 日本近・現代絵画と彫刻 図録』 財団法人大原美術館 2004年
『大原美術館名作選』 財団法人大原美術館 2009年8月6日
『いま知りたい、私たちの「現代アート」―高松市美術館コレクション選集―』 高松市美術館 2016年3月26日
『猪熊弦一郎』 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 公益財団法人ミモカ美術振興財団 2018年6月
『大原美術館+ 作品151と建築』 財団法人大原美術館 2022年4月1日
定期刊行物
著者名 記事タイトル 媒体 刊行年月日、掲載ページ 刊行元
猪熊弦一郎 映画「赤い風車」とロートレック 心打つ巨匠の姿の忠実な再現 『中部日本新聞』夕刊 1953年7月2日4面 株式会社中部日本新聞社