MIMOCA NEWS 002


exhibition

中山ダイスケ 「Full Contact」 2000.8.5-9.3

美術館ではこの夏、現在注目を浴びる若手作家の一人として、中山ダイスケの作品をご紹介します。中山は1968年丸亀市に生まれ、高校時代までを過ごしています。1997年より制作の場をニューヨークに移してからは、世界を舞台に各地で作品発表を行っています。今、彼が自分の作品のテーマとして取り上げているのは「格闘技」。「格闘技」という競技における人と人との間合いを通して、自分の存在を探っています。そこで、今回は作家本人に展覧会へ向けての抱負を語っていただきました。


ミモカ展に向けて

あたりまえのことですが、たとえ芸術家といえども、その人それぞれにいろいろな芸術への思いや考えを持っています。デザイナーになろうとしていた僕は、気がついたら芸術家になっていたので、そのあたりが少々曖昧で、それゆえに日ごろからよく考えさせられてしまいます。ある昔の大芸術家は芸術を指して「神に近づくための作業」と言い、またある人は「未来を創造するもの」と言ったそうです。僕が芸術家になる前にこんな言葉を知っていたら、きっと尻込みしたに違いありません。実際のところ、まだ駆け出しではありますが、「神」や「未来」を自分の制作に感じたことは、一度もありません。もっとも特にこれといった信仰もなく、明日のことに精いっぱいの僕が、感じられるわけもないのですが。 普段僕が生活や制作の場で考えていることといえば、最近起った身近な出来事、友達のこと、恋人や家族のこと、テレビのニュース、大好きな音楽がくれる快感、気になるスポーツ選手の活躍、自分の貯金、買いたい本、そして次の作品の締めきり...などなど、そんな生活にまつわる平和で小さなことばかりです。運良く身近に戦争のない時代に生まれ、自分の事を優先して考えていられる時間に恵まれた僕のこういった世界観や価値観など、昔の大芸術家達にとっては、ずいぶん理解が難しいに違いありません。しかし、その大芸術家達にとって、「神」や「未来」が挑戦すべき巨大な存在で、征服欲をかき立てられる絶対だったのだとしたら、今の僕にとっては「自分」や「今」といったものがそれに当たるのかもしれません。僕にとってこれらは「神」や「未来」と同じぐらい強くて大きな存在です。「自分」という概念へのクエスチョンは、どんな時代においても永遠のテーマに違いありませんが、物事がどんどん複雑になっていく現代社会においては、「自分」というもっとも基本的な事柄はかえって見えづらくなっていくばかりで、より問題として重要になってきているように思います。毎朝なにげなく鏡で自分を見て安心するように、何かに照らし合わせてみないとなかなか見えづらい「自分」というものを、昔の人は「神」という巨大な存在に向かうちっぽけな存在として対峙させることにより、確認しようとし、「未来」も同じように「今」を知るために置かれた一つの比較要素だったのかも知れません。そういった意味では、時代がどんなに変わっても今も昔も芸術家にとっての最大のクエスチョンは「自分」であり「今」なのではないかと思っています。 気がついたら芸術家…と先にも書きましたが、気がついたら「中山大輔」でもあり、小さい頃からその記号の付いた自分という存在が気になって仕方がありませんでした。時には出席番号という"あいうえお"順に並ばされ、時には背が低いからと一番先頭、成績順ではちょっと後方、リレー競争では3番目にバトンをもらい4番目の人に渡す役、家ではお兄ちゃんという役目につき、近所では小さい子ども達を学校に連れていく係、しだいにテストの順番で学校が分けられ、そこでもまた沢山の新しい役目や立場がやってくる。そうしてなんとか大人になり、やっと自由になったと思ったら、今度はいろいろな紙きれで、僕が僕であることの証明を要求されるようになりました。今のように外国に住んでいると、もっともっと自分がどこの誰かということを示さなければならない機会が増えていきます。ますます「僕って一体何者?」と、わけがわからなくなっていくようですが、気がつけば「自分」という存在は「周囲の様々な何か」と関係を持つことで、認識されているというトリックにも気づかされるのです。そんなことをごちゃごちゃと考えながら生きている僕が、自分の作品を通して試みようとしているのは、決して「僕が感じた美しい空間や色」や「素晴らしき創造の世界」といったものではありません。漠然と芸術家に憧れていたのなら、きっとそういうものを作るんだ!!と意気込んでいたでしょうが、僕が魅力を感じる事柄は、花や風景などではなく、醜くも美しく、そして一見単純に見えて実はものすごく複雑な人間同士の関わり合い、つまりこの世界そのものです。 僕はよく作品の中や展示構成に「位置」や「距離」をお知らせする事柄を使います。鋭く尖った彫刻に対してのお客さんの距離、柔らかいけれど鋭いもの、二人の人間がいっしょに入ることのできる甲冑、ナイフで貫き合う幸せそうなカップルの写真、そして最近では格闘技などに見える「間合い」の構図…などなど。それらは僕が日頃生活しながら感じている人間同士の「関わりの距離」を表そうとするものなのです。目に見える肉体の距離、例えば大きな街の人込み、整然と等間隔に並んだ教室の机、同じ方向へ向かうために体をくっつけ合う満員電車の乗客、手を繋ぎながらも恥ずかしそうに離れて歩く幼いカップル、そして信頼感や愛情などの目には見えない人と人との心の距離、社会システムのなかで作為的にできあがった立場や地位による様々な距離…。自分とは何かを考えていたら、そんな世の中に無数に見える「距離-distance」、「位置-stance」というミステリアスな存在に取り憑かれてしまったようです。 しかしこれらは、まだまだ「存在」に対する僕自身の疑問から生まれた一つのヒントにすぎません。 ある時、真っ白な紙に鉛筆でなにげなく一本ひょろひょろと線を引いていたら、「あ、これってすごく俺だなあ」と感じたことがあります。なんのことはない、ただのミミズのような線が一本画用紙に偶然描かれただけなのですが、まぎれもなく「僕自身」を表していました。まあ、そのようなものはきっと僕本人にしかわかり得ないものなので、展覧会に出したりはしませんが、芸術や表現行為には往々にして、理屈を超えた不思議な力が働くことがあると思っています。「天才」ならきっと真っ白な紙を前にいくらでも筆が走るのでしょうが、僕は何の手がかりもなしに、パッションだけで制作するようなタイプの作家ではありませんし、不可解すぎるものを「素晴らしい」なんて感じられるほど、感覚が柔らかい人間でもありません。そんな僕は、いつもたくさんのヒントを自分自身の作品に入れることによって、自分が出した問題に自らが答えるのを助けようとしています。もっとも答えが出たためしはないので、こうしていつも次の作品を作っているわけですが…。でもこうしたやりとりと、少しだけ芸術の不思議な力がミックスされて、すこしでもお客さんへのメッセージ、そしてそれぞれの方々にとっての何かのきっかけになればと思っています。 丸亀から東京、そして現在のニューヨークと移り住み、世界の様々な街で展覧会をやっていますが、今回こうして生まれ育った丸亀の美術館に、作家として戻ってこられることは、大変光栄であると同時に、どんな外国の展覧会よりも緊張してしまいます。そしてもちろんこれからの作品制作において、かけがえのない経験になるに違いありません。 一つ残念なのは、その辺りのことを猪熊弦一郎先生ご本人にぜひお聞きしてみたかったなあということでしょうか。

中山ダイスケ
photo by Ariko

プロフィール
1968年香川県丸亀市生まれ、武蔵野美術大学中退後、様々なパフォーマンス、演劇美術などに関わり、1992年東京銀座で初個展を飾る。以後日本現代美術のもっとも期待される若手として、国内外で高い評価を得る。独特の造形感覚が織り成す鋭くもやさしい作品や、次世代アート界をリードする手腕が評価され、1997年アメリカ、ロックフェラー財団Asian Cultural Council から奨学金を得て渡米、ニューヨークインターナショナルスタジオプログラムで制作。以後もポーラ美術振興財団若手芸術家海外研修助成、第一回岡本太郎現代芸術大賞準大賞などを受賞。 ニューヨーク、ベルリンなどでの個展、世界各地でのグループ展多数。2000年開催の「光州ビエンナーレ」(韓国)、「リヨンビエンナーレ」(フランス)に日本代表作家として選出され、ますます今後が期待される。
お知らせ

2000年3月29日より、「人+間(MAN+SPACE)」をテーマに、光州ビエンナーレ(韓国)がはじまりました。光州市はソウルから飛行機を乗り換えて約1時間のところにあり、全羅南道地区の北に位置します。
街は今、ビエンナーレ一色、どこへ行くにも「ビエンナーレに来たの?」と訊ねられる(勿論ハングルで)有り様です。
世界各国のアーティストたちの作品がひしめき合うビエンナーレ会場では、中山ダイスケも日本代表の一人として、この夏MIMOCAでも展示を予定している「Full Contact」を題材とした大作を出品しています。
会期は6月7日まで。韓国へ行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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