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第10回 猪熊弦一郎の家具 |
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戦時中、猪熊は疎開先の神奈川県藤野町では、新制作派協会の仲間達と芸術都市を計画し自分の家をそれぞれが設計するなど夢を膨らませていたようです。このことが発端となり、間もなく新制作派協会には建築部が加わり、その頃親しくしていた建築家山口文象をはじめ、池辺陽、岡田哲郎、谷口吉郎、丹下健三、前川国男達が建築部のメンバーとなりました。1949年に誕生した新制作派協会の建築部に、猪熊は早速、敷物を出品しています。残念ながらこの敷物についての詳細はまだ判明していませんが、建築に対しての興味からかその後も積極的に家具を制作し建築部への出品を続けています。出品された椅子や机などの一部は美術館に収蔵されていますから、今回はそのいくつかをご紹介しましょう。 |
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猪熊の家具について、美術批評家の植村鷹千代氏は「画家の発想による仕事らしい自由な発想によるアイディアと感覚のよさに感心する一方、素人らしい遊びにやはり不満を抱く」と猪熊のデザインの仕事、特に家具のデザインについて批判的な意見を述べていますが、実際に猪熊邸を訪問し、猪熊とデザインについての話を交わした後、「生活とともに生きる芸術という理念が彼流に明確につかまれている」とその考えを改めています。(「デザイナーとしての猪熊弦一郎」、『リビングデザイン』、1955年、2号、29p) |
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写真1 サイドテーブル 1953年 |
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猪熊の制作した家具はユニークで、日本間用に作ったと言われる机(写真1)や、アケビを編んだ籠が乗せられたテーブル(写真2)などは、当時の猪熊の生活を取材した雑誌の記事の中でも紹介されています。緑色の布を張った寝椅子(写真3)はもともとは年を重ねた父親の為に作ったものですが、渡米後もわざわざニューヨークまで取り寄せて使っていたようです。また、金網を張った大きな丸い椅子(写真4)は評判が良く、アメリカのデザイナー、ジョージ・ネルソンが編集した世界の椅子を紹介した本「chairs」(『Interiors
Library 2』Whitney Publications Inc. 1953年)でも紹介されています。 |
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写真2 アケサイドテーブル 1953年 |
写真3 寝椅子 1952年 |
写真4 真鍮網による椅子 1950年 |
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家具作りは1955年からの渡米後も続いており、当時の猪熊の知人の証言によれば、ニューヨークでは「夜間、大工の学校に通っていた」というほど本格的に取り組んでいたそうです。当時住んでいたアパートは狭いうえにアトリエも兼用していたため、アメリカで使用するために作られた家具には、新たな工夫が必要とされました。長椅子兼ベッドもその一つ。猪熊の住居を紹介した記事によれば、ドアとして作られた木の板に既成の脚を取り付け、そこに文子夫人が縫った布のカバーを被せた厚めのラバーを乗せて、昼の間は長椅子、夜はベッドに変身する家具とか、これまたお手製の角度が自由に変えられる作業机といった家具を使っていたことなどがわかっています。猪熊の制作した家具からは、創造することの楽しさが感じられると同時に、いかに生活を楽しもうとしていたかというその姿勢がうかがえるのではないでしょうか。 |
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これら猪熊の家具については以前「猪熊弦一郎の仕事展」という展覧会で一度ご紹介しましたが、収蔵庫の中でひっそりと次の出番を待っています。近々その一部をまたご紹介できるかもしれません。乞うご期待を。 |